〈68〉「ちゃわんやのはなし」に寄せて (下)
技術がないなら朝鮮の技術者を日本に連れてくればいい、そんな乱暴な考えで、朝鮮出兵に赴いた薩摩藩主・島津義弘は、かの地から陶工たちを薩摩の地に連行した。 今の言葉で言えば「拉致」である。その、拉致被害者たちの一人に…

技術がないなら朝鮮の技術者を日本に連れてくればいい、そんな乱暴な考えで、朝鮮出兵に赴いた薩摩藩主・島津義弘は、かの地から陶工たちを薩摩の地に連行した。
今の言葉で言えば「拉致」である。その、拉致被害者たちの一人に、沈壽官家の初代となる沈当吉がいた。
当初は、陶土も釉薬(ゆうやく)も朝鮮から持ち込み、日本のものは、陶器を焼く「火」だけだった。その意味を込めて、当吉の作とされる「火計手(ひばかりて)」と呼ばれる作品が残っている。

