募金や祈りは被災地復興の力になるのか? 道心寺住職・露の五九洛さん【ニュース熱視線①】
宗教専門紙の記者として取材で歩くと、市井の人たちが〝宗教〟という言葉の響きに、〝うさん臭さ〟を感じていることがひしひしと伝わってくるのも確か。その臭さを元から絶つには、宗教者と読者が向き合い、宗教者が生の言葉を届けるしかない。

そこでふと考えた。長い歴史を持つ伝統宗教の宗教者たちは、混沌とした〝今〟をどのように見つめ、感じ、分析しているのだろう。思いもよらない角度からの言葉が、読者の心にストンとハマれば、宗教者という存在もより身近に感じられるのではないか。話題のニュースを宗教者の視点で深掘りし、現代社会が抱える課題やひずみを、くっきり浮かび上がらせたい―。
そうした狙いで始める解説記事「ニュース熱視線」の第1回は「災害」がテーマ。熊本地震に相次ぐ大雨災害に、果たして宗教者はどのように向き合っているのだろうか。天台宗道心寺(兵庫県尼崎市)住職で落語家の露の五九洛さんに登場していただいた。災害に付きものの〝地獄に仏〟の詐欺には、要、要注意!
今回のお題「災害」 露の五九洛

托鉢するぐらいならバイトすれば?
「募金箱持って何時間も立ってるぐらいやったら、その時間でアンタらがバイトでもしてその金を送ってやったらどうや!」
災害復興支援の義援金托鉢(たくはつ)をしていると、このようなお声がけをいただくことがあります。
他にも、「駅前にお坊さんいたwww」と会員制交流サイト(SNS)にでもアップするのか、遠巻きに写真を撮る人、募金しようとするわが子を見て血相を変え、その小さな手を引っぱり立ち去ろうとする親。さまざまな人と出会いながら、見送りながら、それでも私たちは托鉢を続けます。
集めているのは寄り添う「気持ち」
近年、頻発する大規模災害。宗教界では災害が発生すると現地ボランティアに入ったり、托鉢をして義援金を集めますが、托鉢に関しては冒頭のような反応をいただくことは珍しくありません。
確かに、ご指摘のようにバイトをするほうがたくさんのお金を被災地に送ることができるかもしれませんが、私たちは一時的なお金を集めることだけを目的としているわけではなく、人々の「気持ち」を集めるために立ち続けているのです。
というのも、もともと托鉢は僧侶の修行の一環であることはもちろんですが、道行く人々に「布施」の行い、つまり功徳を積んでいただくという大切な意味を持ちます。
義援金托鉢の場合、たくさんの人に被災地へ心を寄せていただくきっかけとなり、その行為が結果的に継続的な被災地への想い、支援につながるのです。
「祈り」は無意味?
また、「祈ってもどうにもならない」と言われることもあります。
でも、本当にそうなんでしょうか? 〝祈り〟とは…
