日本仏教看護・ビーハラ学会 第22回年次大会 正面から死を見つめる 医療と宗教 在り方考察
日本仏教看護・ビハーラ学会が13、14の両日に大分県宇佐市の宇佐神宮で開いた第22回年次大会は、初の九州開催となった。死を正面から見つめる仏教看護の現状と課題を考えるシンポジウムや研究発表のほか、國學院大學教授の大東敬明氏による神仏習合=用語解説=に関する基調講演などを実施。「出逢い 時・空・観を超えて―神仏習合の地にて」をテーマに、今後の仏教看護の在り方を語り合った。
神仏習合で苦を受け止め
大東氏は神仏習合に伴って日本の神々がどのように変容し、人々の苦しみに寄り添う存在となったのかを解説。神を信じた人間が何に苦しみ、どのような救済を求めてきたのかという点に着目した。
古代の神は、疫病や災害によって祭祀(さいし)を要求する恐ろしい存在とされてきたが、中世になると個人の悩みや苦しみに寄り添う存在へと変わったと説明した。
背景には、魚肉を供え軍神として神をまつることもある神道と、不殺生を説く仏教との間に生じた矛盾があると指摘。この矛盾を解消するために、命を失った者が神と縁を結ぶことで救われるという論理を構築するなど、穢れを忌む神が中世以降、心の清浄を求めるようになったと分析した。
その上で、「神仏習合の場であった寺社は、医療や福祉では扱いきれない、誰にも言えない苦しみを受け止める場として機能してきた。現代においてもその役割が期待できる」と話した。

一緒に溺れられる存在
シンポジウムは、京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門研究員のカール・ベッカー氏を座長に「境を超える出逢い」と題して行われ、会員ら4人が登壇した。
福岡聖恵病院(福岡県古賀市)に所属する臨床宗教師の源智道氏は、自分の都合や価値観で判断せず、患者の目線で考えることの大切さや、死後の不安や家族への思いなど、医療者に言えない思いを受け止める存在として活動していることを伝えた。
