佛光寺本廟で戦争孤児を追弔 8人の遺骨・遺髪を納め平和の尊さ語り継ぐ
先の大戦で身寄りを亡くした戦争孤児の遺骨や遺髪を納めた真宗佛光寺派本山佛光寺本廟(ほんびょう)(京都市東山区)で「終戦の日」の翌日に当たる16日、戦争孤児を含む戦没者の追弔法要が初めて営まれた。追弔碑に納められた遺骨や遺髪は、戦史に埋もれた孤児の戦禍を掘り起こす「無言の証人」として、平和の尊さを語り継ぐ原点となる。
奥山 正弘•

京都駅の「駅の子」
先の大戦で家族を失った戦争孤児は十数万人に及ぶとされる。京都府は終戦翌年の1946(昭和21)年、京都市伏見区に避難施設「伏見寮」(後の伏見児童相談所)を開設し、孤児を一時保護した。
戦災の少なかった京都には、空襲で被災した阪神地区などから多くの孤児が集まった。孤児らは雨や夜露をしのぐため、京都駅構内で寝泊まりしていたため、「駅の子」と呼ばれることがあったという。
赤ちゃんから16歳まで
この日供養された戦争孤児は、伏見寮で一時保護された後、亡くなった生後間もない赤ちゃんから16歳までの8人。佛光寺の塔頭(たっちゅう)大善院(京都市下京区)の佐々木正祥住職の親族が伏見寮に勤めていた関係から、同寺が8人の遺骨・遺髪を保管・供養してきた。
