謎に包まれた美女・小野小町の生き方に学ぶ <静けさを歩く>①隨心院
歴史に登場する女性は極めて少ない。歴史上の人物として今に名前が残る女性の多くは、著名な男性の妻や母親としてである。男性中心の時代が長く続く中、自分自身を重ねたり、共感したりする人物を江戸時代以前に探すことは、女性には少し難しい。

そんな中、自身の能力によって名前が残る数少ない女性の一人が、平安前期に活躍した歌人で六歌仙の一人に数えられる小野小町である。世界三大美女とも謳(うた)われ、そのミステリアスな生涯は能や歌舞伎など、さまざまな作品の題材となった。
男女平等が叫ばれている現代でさえ、時に社会の中に居場所を見つけることが難しい女性が、千年もの昔、完全な男性社会の中で誰かの妻や母としてでなく、己の功績のみで存在感を示した。
一体どのような人物だったのだろう。何を考え、何に悩み、自分の生きる道を見つけたのだろうか。
女性としてのキャリアや恋愛、結婚などで自分の生き方に迷ったり、社会の中での自分の立ち位置が分からなくなったり、立ち止まって考えたくなったりしたとき、彼女の足跡をたどり、選択に思いを巡らすことで、何かヒントが見つかるかもしれない。
晩年を過ごした隨心院へ
知名度に反して、小町の出自や墓所などはいまだに謎に包まれており、全国にゆかりの地がある。その一つが、女官として仕えた宮廷を辞した後に余生を過ごしたといわれる真言宗善通寺派大本山隨心院(亀谷英央門跡、京都市山科区)だ。
一帯は小野郷と呼ばれ、遣唐使として名高い小野妹子(おののいもこ)や、冥界と行き来していたとの伝説が残る小野篁(おののたかむら)ら小野氏の本拠地だった。
隨心院は京都市営地下鉄東西線小野駅から徒歩5分の距離にありながら、住宅街の一角にひっそりと建つ。謎に包まれた美女が晩年を過ごした建物にふさわしく、静かでたおやかなたたずまいだ。
境内には200株の紅梅が咲く「小野梅園」や、小町が洗顔に使ったとされる「小町化粧(けわい)井戸」などがある。井戸を囲む竹林、門前の桜、秋の紅葉、参道のツツジなど、四季折々の花木が品よく配置され、境内は日々の散歩道にちょうど良い広さ。公家の邸宅から移築された庫裏や、寺院建築としては珍しい寝殿造の本堂は、小町が生きた千年前の公家の生活を想像する手助けになる。
当時の女性が活躍できる数少ない場所であったであろう宮廷で、小町はどう振る舞い、自身の身の振り方を考えていたのだろう。後ろ盾となる男性次第で人生が決まる当時にあって、数々の求愛を拒んだ背景には何があったのだろうか。
それを考えるヒントが、ある伝説の恋物語に隠されている。
