← トップに戻る
災害無料

【熊本地震】社説 被災者の命と尊厳守れ

 最大震度7を観測した令和8年熊本地震の復旧作業が難航している。連日の猛暑が重なる実質的な複合災害であり、避難生活そのものが命を脅かす局面に入っていると認識すべきだ。

Super Admin•

 とりわけ憂慮されるのが、避難所の環境である。冷房のない空間で、人々に忍耐を強いてはならない。さらに断水が続けば、飲み水だけでなくトイレや入浴、洗濯にも支障が生じる。衛生状態の悪化は感染症を招き、着替えや排せつの不自由は尊厳を深く傷つける。

 各教団は、職員を派遣したり救援物資を届けたりと、現地での支援を本格化させている。これと並行して、県外避難を具体的に検討する時が来ているのではないか。

 全国にある寺社教会の宿坊や会館を滞在先として開放し、被災者を受け入れてはどうか。信者以外にも門戸を開くのであれば、行政や公的機関などから移動手段や食事、生活支援などの協力が得られる可能性もある。暑さを逃れ、安心して眠り、バランスの取れた食事と入浴を得られる場所へ移ることは、生きる力を蓄えることにつながる。

 もちろん住み慣れた土地を離れたくないという思いや、離れたくても離れられないという個別の事情には、十分配慮しなければならない。高齢者や障害者、乳幼児のいる家庭を中心に、善意を押し売りするのではなく、県外避難という選択肢があることを示すのが肝要だ。

 今回の地震では、寺社や教会も甚大な被害を受けた。一瞬にして崩れ落ちた伽藍(がらん)や社殿、聖堂を前に、言葉を失って立ち尽くした宗教者の胸中はいかばかりか。大いなるものへの信仰を支えに人々を守ろうとしてきた人たちが、今は守られるべき側にいる。人々に希望を届けるためにも、寺社教会の復旧は欠かせない。

 災害時に力を発揮するのは平時に結ばれた縁であることも、再認識したい。寺社教会には日頃から地域の人々が出入りし、互いの顔を見知り、時に悩みを語り合う。減災の基盤となっているのは、建物ではなく、信仰に根差したコミュニティーである。耐震化や備蓄だけが防災ではない。誰が孤立しやすいか、どんな支援が必要になるのか。あらかじめ知っておくことが重要である。

 心の傷が置き去りにされてはならないことにも留意すべきだ。大切な人や住まい、ふるさとを失った悲しみや先の見えない不安は、時間と共に重くのしかかる。

 宗教者には、安易な励ましや意味付けではなく、悲嘆に寄り添うことを求めたい。それが命を救い、尊厳を守るために不可欠なことは、過去の災害が示している。宗教者の具体的な行動は、今こそ必要とされている。